建替工事
社寺建築を行う宮大工はそもそもお寺の改修・新築工事などがあれば全国各地に出掛けていく職種です。
北一タカハシ建設は、北海道札幌市の会社ですが、北海道内に限らず全国各地に出張可能です。
青森県 松源寺は縄文遺跡が出土するエリアでもあり、増築はできません。
基礎の補強工事からスタート。住職にご相談をいただいてから完成まで約5年を要しました。
120年前に建てられた本堂を手作業で解体し、ケヤキなどの材料を再利用しました。当時より身長が高い人が増えていることも踏まえ、天井を高くする必要がありました。小屋組の大きな柱は一度札幌の作業場に運び再生、再び青森の現場に戻して施工しました。
本堂の屋根には石州瓦を採用しています。
※松源寺の大改修工事はメディアにも掲載いただきました。
鰺ヶ沢・かやぶき屋根の松源寺 120年ぶりに大改修、瓦に
町教委、構造など記録
津軽藩と縁の深い鰺ヶ沢町の松源寺(曹洞宗、寺田元紹住職)の約120年ぶりの全面建て替えに伴う解体作業が6日、始まった。
本堂は珍しい宝形造りのかやぶき屋根から、耐久性などを考え瓦ぶきとなる。町教委は建物の規模・構造を記録。今後は元の建物に使われた土台石なども調べ、寺院および地域の歴史を後世に伝える手がかりにする。
明治中期の火事で焼失後に建てられた現在の建物は雨漏りなど傷みが激しく、かやが破れた箇所から野生ザル5、6匹が侵入し屋根裏にすみ着いたほど。約5年前から建て替えの話が持ち上がった。
本堂、位牌(いはい)堂は年内に解体され2014年着工。15年には庫裏の改修が行われる。傷みの少ない柱や彫り物などを可能な限り再利用する。完成後は現在と同規模(約千平方メートル)になる。全面改修は明治以降初めてで工事費約3憶5千万円は檀家(だんか)からの寄付で賄う。
調査に協力する日本建設協会会員の中村隼人氏(岩手県)は現在の建物について「明治期のその地方の平均的な規模、工法、細部意匠で造られた寺院がほぼ改変されず建築当初のままと活用されている点で評価できる」と指摘。中村氏によるとかやぶき造りの寺院は現在、県内に10棟もない。
寺田住職もかやぶき屋根の希少さは理解しつつも幼少期、近くで起きた火事が西風にあおられ、かやに燃え移ることも心配しただけに「なくなる寂しさよりも安全が第一」と話す。かやぶきを維持する手間、コストも考慮した。
町教委の中田書矢主任学芸員は「老朽化での建て替えはやむを得ないが、地域の暮らしとともにあった建物。住民が歴史を振り返る材料として記録に残しておきたい」と調査の意義を強調した。
(松源寺)
津軽氏家臣の館跡に1574(大正2)年、長勝寺の和尚が隠居用の草庵を現在の鰺ヶ沢町赤石町付近に開き、「松源院」と名付けられた。元和年間(1615~24年)、弘前城築城に際し、近隣の他の寺とともに弘前に移転。津軽藩3代藩主・信義の側室の母の位牌を配置し寺号は「清安寺」に変わった。
移転後の跡地には、承応年間(1652~55年)に隠居寺として「松源庵」が建てられた。1869(明治2)年、寺格に昇格し「赤石山松源寺」となる。現在の住職は松源庵、松源寺を通し23代目。檀家数は約600戸。町教委によると2007年の発掘調査で、敷地内の井戸跡から、1610~50年代の唐津焼の皿が見つかった。